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山病 15話 |
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■第15回(2006年11月14日記) |
先日の日曜日に根子岳南峰に登った。 遅い時間からの登山だったので、既に登山口の駐車場は満車だった。 私は運良く下山者の空いたスペースに車を停める事が出来た。 私の後から来た福岡ナンバーと北九州ナンバーの車は、停める事が出来なかった。 少し離れた場所まで車を移動して、登山口まで歩いてやって来た。 珍しい事に、10数名の若者達のグループだった。 私が登山道で出会う登山者は殆んど中高年の人達だ。 平日登山ばかりだから、若者の登山姿はあまり見かけない。 山に登る若者達を見て色々思った。 この頃、いじめによる自殺者が、毎日の様に報道されている。 自殺者が出た学校の責任者も自殺してしまった。 世界有数の先進国であるこの国の自殺者は、異常としか思えない。 キリスト教は自殺を罪悪と教えているようだが、宗教の問題ではないと思う。 この国には宗教はない。神は至るところに祭ってあるが、宗教はないと思っている。 あるとしたら日本教だ。その日本教・モラル・空気がおかしくなっていると思っている。 子供のいじめ。子供のいじめだけでは無い。この国の大人の世界のいじめはもっと凄い。 みんな気が付いているのに何も言わない。差別のいじめなのだ。 江戸300年もの間に、この小さな島国で育った宗教(日本教)は、差別の宗教だ。 いじめの対象を差別として見つけ出す。他人よりほんの少し優位に立つために。 元々人間は、優しいのに、他人に対して優しく出来るのに。 日本教はそれをしない。差別したがる。差別の空気が蔓延している。 人生はもっと楽しいはずなのに、この国の空気が差別する方に人生を導いている。 差別し、差別され、いじめ、いじめられ、この空気の中で、この国は発展している。 企業も他社との差別化を計り、能力給を採り入れ、社員の差別化を進める。 格差社会(差別社会)はドンドン進み、人間は本来の優しさ、愛を忘れてしまう。 楽しいはずの人生は、何処に行ったのだろう? 幼い子供が短い人生を終えてしまう。自分で、また他人の手によって。 日本教(モラル・空気)は、ドンドン変わって行く。愛の無い世界へ。 人の心もドンドン冷たくなって行く。人の心から、愛が消えていく。 日本教(モラル)は間違いなくこの国の人間が作り出している宗教だ。 いじめ自殺はもっと増えるだろう。マスコミは報道しなくなるが。 年間3万人以上の自殺者が6年間も続いている。これは宗教だ。日本教だ。 (訂正・・6年間は間違いでした。8年間でした) 根子岳に登る若者を見て、いろんな事を考えた。 この若者達も、山歩きをしない仲間を意識しなくても差別しているのだろう? この若者達も日本経徒だから。 |
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天狗峰を望む(根子岳・南峰の山頂プレートから) |
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