[ホーム]

熊本城 本丸御殿復元 その1

 その2    その3    その4  その5(おわり)

【熊本城豆知識
天下の名城・熊本城を散策します。一緒に熊本城を歩きましょう〜!! 
加藤清正が築いた肥後54万石のシンボルです。1607年に完成しました。

7年間もかけて築いた名城です。
城郭の面積は98万u・日本一の広さです。その名城をご案内。

画像をクリックすると拡大画像になります。 画像をクリックすると拡大画像になります。(↑)

まだ本丸御殿の工事中です。

天守閣は加藤家・細川家のお宝の展示室になっています。

小天守閣の橋を渡り、大天守閣へと上って行きます。

天守閣から阿蘇の噴煙を楽しみましょう!



観光客用に造られた橋を渡って中に入ります

この橋の下に、
築城当時の石段が残っています。

竹の丸広場から歩いてくると、
石段がダンダン狭くなってくるのが分かりま。

熊本城は、至る所に工夫がなされています。


  
築城当時の登城通路(石段)が、観光客用の通路(橋)の下に残っています。

天守閣への入口と出口です。この天守閣は、昭和35年・熊本国体の時に復元されました。

熊本市の一個人の寄付と税金で復元されました。建築費用は1億8,000万円でした。


竹の丸広場から天守閣を見ます。天守閣の右側に見える屋根が本丸御殿です。

竹の丸広場から、天守閣に続く石段は登るにつれ幅が狭くなってきます。

石段の踏み面も高さも不規則に造ってあります。攻めにくいように工夫されているのです。


飯田丸五階櫓広場(現在は梅園になっています)から見た天守閣と本丸御殿の一部。

画像手前の石垣が二様の石垣です。この上が本丸御殿の庭になっています。

本丸御殿の大広間から眺める庭とその先の城下町&阿蘇五岳・・・。


本丸御殿・招君の間・・清正公が豊臣秀頼公を招くために造った御殿と言われています。

清正公もこの御殿で過ごしたようです。今年の春4月に一般公開される予定です。



数奇屋丸二階大広間の広場から眺めた天守閣です。

天守閣の右側に仮の通路が造られています。

本丸御殿が復元されたら、取り除いて欲しいです。

仮の通路を取り除いたら、天守閣の広場に行く石段も復元されるかも?です。


 
数奇屋丸二階大広間に行く石段に地図石と言われている物があります。

踏み石と石垣が幾何学模様に組んであります。一見の価値ありです。

唯一焼け残った宇土櫓から眺めた天守閣です。

大小天守閣は、鉄筋コンクリートで復元されていますが、宇土櫓は昔のままの姿です。


天守閣広場への仮の通路(坂道)です。本丸御殿への通路は立ち入り禁止です。

復元中の本丸御殿です。まだ、関係者以外は立ち入り禁止です。この春に一般公開されます。

数十億円の巨費を投じて復元してあります。本丸御殿の昭君の間はNHKでも放送されました。

本丸御殿には、この暗がり御門を通って行きます。しかし、この門は公開されるのかな?

天守閣広場から、本丸御殿に行くようにするのでは・・・・・・。

暗がり御門をくぐると、地下通路になります。この通路の上が本丸御殿大広間です。

右画像は、天守閣広場からの入り口です。(建築当時は無かったと思っています)

4月20日の本丸御殿一般公開の日は、どちらから観光客を入れるのでしょう?
【その2につづく】

その2    その3    その4   その5(おわり)   熊本城の桜(2006年)  
  熊本城の桜(2005年)

 
 熊本城の桜スライドショー     熊本城の石垣スライドショー    【ホームページトップに戻る】