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山病 8話

第8回 登山ブーム
山歩きに興味を持ってから、気づいた事ですが、
マスコミが、盛んに山歩きブームを作っているような感じがしてきました。

地元新聞には、先日まで、『山で出会った花たち』が連載されていました。
また、『還暦からの手作り登山』の連載も あっています。
書店には、中高年の為の山歩きの雑誌が、沢山並んでいます。
2000年代は、中高年の登山ブームなのでしょうね?

私事で、言えば 山の自然を体験すると、病み付きになるようです。
身の廻りには、物が溢れています。
お金さえあれば、何でも手に入る時代です。
便利な家電製品、その他 もろもろ 何でもあります。

登山道を一人で歩いていると、寂しいことも 怖いことも ありません。
これは、何なんでしょう?廻りには、自然しかありません。
文明の証は、何もありません。

登山ツアーの団体の方と、時々出会いますが、それはそれで又 楽しい山歩きだと思います。
しかし、整備された登山道を一人で歩いていると、姿は見えませんが、小鳥のさえずり、
沢近くの登山道では、沢のせせらぎ、風にそよぐ小枝の音、風景と音に
大自然の真っ只中を歩いているのだと言う実感が湧いてきます。

頭の中には、何もありません。空っぽです。これは、なんなんでしょう?
海釣りにも、凝った事があります。
ピクともしない浮きを、一日中眺めていました。
食事中も、おにぎりを頬張り、釣り竿は 放しません。
何時、浮きが沈み魚が 掛かるか分からないからです。
流石に潮が動かない時は、お昼ねですが・・。

その時の、頭の空っぽと、山を歩いている時の空っぽは、何かが違います。
魚釣りは、全神経を浮きと餌に注いでいますが、山歩きは、何に神経を使っているのでしょう?
野の花は、花の方から声をかけてきます。目に飛び込んできます。
目の前には、大自然の風景が広がっています。
頭の中は、空っぽです。大自然を体験すると、山病にかかるのかも知れません。
(続きます)


九重タデ原湿原を歩く登山者

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