定年おやじの大英帝国ひとり旅 8

5月18日(月) 5日目 リバプール
朝起きたら、同室にアイルランドから来た老人が居た。僕よりだいぶ齢。
ちょうどいいので、アイルランド行の船を尋ねてみたら、飛行機で来たそうで、今まで船で来たことは無いという。
プロペラ機なら往復100ユーロ=13500で安いのは有るとのこと。アイルランドは何所がいいか教えてもらった。
地名や行き方を紙に書いてくれました。朝食はユースホステルにしては珍しく豪華。ロンドンのホテルよりいい。
ユースホステルの食堂 朝食

雨の中、フェリー乗り場に行くために近くのジェイムスストリート駅に。
ここからマージー川対岸のハミルトンスクエアー駅に向かいます。往復2.45ポンド。
ホームはエレベーターで地下深く降ります。川といっても、港になった湾ですから。
トンネルも深く、トンネルの途中にある駅です。
工事現場のようなエレベーターを降りてホームに下りる階段

列車を降りてフェリー乗り場に行ってみると、対岸を結ぶシャトルフェリーの乗り場。
受付で聞くと、ダブリン行きは全然別の場所。
地図を見せて教えてもらうと直線では3km位ですが、港内は地図は空白で、入組んでいて、道程は判りません。

歩き出しますが何か悪い予感。遠くにそれらしい大きな船があります。
いくつも埠頭があって、付け根まで水がありますから、付け根に周るしかありません。

多分この辺りの道を海に向けてゆくと、あの船の辺りだが。
カッパは着ていますが、ポケットから出た地図はすでにグジュグジュ。5kmは歩いた。

近くまで来たけど、港までは行けない。有刺鉄線の高いフェンスがあります。
途中に水路もあります。猫の子一匹居ません。埋立地の荒廃した倉庫街の雨の中に佇みます。

しかたない、戻ろう。さっき曲がったところに戻って、直進します。あ、フェリー乗り場のマーク。
そこを曲がります。今度は間違いない。車の通りも有る。やっと、フェリー乗り場。
切符売り場には誰も居ません。カウンターに連絡先の電話番号があるので、電話するが誰も出ない。

待合所に立っていると、掃除のおばさんが。「今晩10 時に船が出るからそれまでは、休み」。
せっかく来たのだから、そのくらいの情報では帰れない。
誰か居ないか聞いたら、背が2m近くある人が来た。「明日は朝10 時のダブリン行きがある。

今、切符を売る人が居ないので、朝8 時までに着てくれ」やや信用できないので、
時刻表は無いか聞くと、裏のほうに行って持って来てくれた。
これから戻るのに、足は痛いし、タクシーは居ないし、どうしよう。

雨に濡れながら煙草を吸っていると、バス停マークも無いのに、バスが来ました。
この際、どこ行でもいい、乗ろう。ここを抜け出せば何とか成る。助かった。乗客は自分一人。
途中誰も乗降しないまま、今朝降りた駅まで戻りました。
リバプールに戻って、さあ何をしよう。もう歩き回る元気は残っていません。

楽に周れる循環型市内観光バスに乗ることにしました。範囲が狭いので6ポンド=¥960。
ビートルズのマシューストリート、博物館、美術館、リバプール大聖堂、最後に海事博物館。
途中ライムストリート駅に寄って、ウェールズの北海岸を一番西に行ってフェリーに乗るかもしれないので、
ホーリーヘッド行の時刻を調べます。

途中二回も乗り換えがあります。帰りはそのコースになるはずなので、
二度同じコースは通りたくないし、どちらが良いのか迷います。

いずれにせよ、明日の晩の宿を予約しなければなりません。
海事博物館のベンチで、ダブリンインターナショナルホステルに電話をします。
予約の電話を入れるといつも、カード番号を聞かれます。

生年月日から、住所まで聞かれる時も有ります。融通の利かない受付だとスペルまで復唱させられます。
スペシャルのS、アンサーのA、テレホンのT という具合に。いい加減にしてくれ。
こちらは高い国際電話、しかも、さらに高い携帯で架けているのに。
3泊朝食付き63ユーロ=¥8500 イギリスより大分安い。
誰も居ない観光バス ウォーカー美術館
リバァプール博物館 リバァプール大聖堂
ライムストーリート駅 ユースホステル二人ともスペインからきた

ホステルに帰ると待ってたとばかりに、風邪のスペインの青年が「日本語を教えてくれ」ときました。
彼の英語は、冗談が言えるほど上手です。
しかし、書けません。日本語をローマ字で書いたり、意味を英語で書いたりしてやっても、よくわかりません。

彼は英語は習ったことは無いのです。しかし、聞いたり、話したりは、出来るのです。日本人とは逆です。
私は何年も学校で英語を習って、たまには難しい単語も知っているのに、
聞いたり・話したりは幼稚園児より劣ります。

今の英語教育は違うんでしょうが、語学は要らない。語だけでいいんです。
ほんと、数学にしても、歴史にしても、九九や年数を知らないから、言うんじゃないけど、その考え方とか、
流れとかが、如何に生活に活かされるかが大切ですよね。

以前、ある国家試験を受けた時。
問題に「制度が出来た年」・「会議のあった年」を問う問題がかなりありました。

試験の主催は政府の外郭団体ですが、
きっと、試験を作ったのは、天下りの何十年も肩書きだけで生きて来た人でしょう。

「考え方」だと、答えは一つではありません。
時代と共に変わる場合もあります。その点、年数とか数字だと答えは一つだし、第一問題が作り易い。
問題が悪い事を解答に書いて出しました。落ちたけど。

スペイン人の二人とビールを飲んで、晩飯食べず。少し痩せたかな。
泊まっている、私と同年位の、イギリス人が、食堂で、タダ飯があるよと言っています。

みんなで、ぞろぞろ行ってみると、パンのヘリ。パンのへりだけ食べてもしょうがない。
でも、その人は沢山貰って喜んでいた。
その人はいつも夕方から、夜中まで、テレビのリモコンを握って、ずっとテレビを視ています。
ご飯も同じ椅子で食べながら。

しばらく、日本にメールしていませんが、ここのネットは有料で15 分£1。
止めとこう。携帯で家内に明日からの泊まり先をメールします。ショートメールなら一律100 円です。

明日は、8 時までにフェリー乗り場に行かなければ成りません。
今朝のようでは、時間が架かり過ぎる。
もし間に合わなければ、列車で、乗り継いでホーリーヘッド(ウエールズの西先端)に行こう。

5月19日(火) 6日目 アイルランド・ダブリンへ

【5月19日 アイルランド・ダブリンへ進む】 【旅行記  第1話へ戻る】