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定年オヤジの、イギリス・アイルランド・アイスランド一人旅

無断転用厳禁 著作権は satoshi ito に帰属します(岩国市在住) 元職場の先輩の旅行記です。

旅行の準備 旅行準備リスト 5月14日 出発 5月15日 ロンドン
5月16日 ケンブリッジ 5月17日 リバプール 5月18日 リバプール 5月19日 アイルランド
5月20日 ダブリン 5月21日 スライゴー 5月22日 ゴールウエー 5月23日 モハー
5月24日 アラン島 5月25日 アラン島 5月26日 キラニー 5月27日 コーク
5月28日 ケリー周遊 5月29日 ダブリン 5月30日 ダブリン 5月31日 イギリス
6月1日 スノードニア 6月2日 コンウイ 6月3日 チェスター 6月4日 ロンドン
6月5日 アイスランド 6月6日 グルフォス グルフォス 観光 6月7日 レイキャビック
6月8日 ロンドン 6月9日 ロンドン 6月10日 帰国 紀行記:感想文

= 今回の旅行記・赤い線、青い線は2008年です。メールをスキャン =

私の放浪癖
私の旅行好きは、今に始まったことではありません。
三歳の時、岩国駅の近くで、母が妹のおしめを換える隙に、岩国駅から汽車で五日市の楽々園まで行き、
そこで保護されました。その少し前、家族で楽々園に行って楽しかったのでしょう。
三才ながら、もう一度行きたかったのです。
名前も住所も言えなかったはずですが、身振り手振りで、汽車で来て、近くで電車に乗り換えたことや、
西から来たことなどから警察は判断して、親を特定したみたいです。

それ以来、私は、馬糞紙で出来た名札を首から掛けさせられるようになりました。
それをいいことに、小学校に上がるまでに、保護されたのが6回、自分で帰ってきたのが十数回。
見つかったり、帰れない場合は、シャツの間から名札を手繰りあげて見せればよいのですから。

小学校に上がってからは、学校があるのと、料金が要るのと、駅員に顔を覚えられたのとで、一人旅は止みました。
しかし、いつも、ごそごそ動き回って、周りの人に「なんと、落ち着きの無い子じゃ」と言われていました。
母に言わせれば、「5分と机に就いていた事は無かった」そうで、
今なら、「何とか症候群」と言う病名を付けられて、病院行きだったでしょう。

とにかく、「勉強」というものはした事がありませんでした。ですから、「暗記物」は最初からしません。

結局「九九」は覚えずじまい。今でも、近くの知っている桁から引いたり足したりするので、時間がかかります。
歴史も、何年という年数は全然知りません。
大化の改新も鎌倉幕府も大体の時期は知っていますが、年数は知りません。
年数が分るのは、自分が生まれた1948年位です。高校になっても数学・物理は苦手でした。

国語は漢字の書取り、英語はスペリングがダメでした。
逆に、地理だけは得意で、旺文社模試というのがあって、全国6番になった事がありました。

なので、0点に近い数学と100点に近い地理の絶妙なバランスで大学に受かったのでしょう。
多分、入試でも地理は高得点だったのでしょう、教養課程なので、まだ何に進むか決まってないのですが、
地理の先生が態々、私を呼び出して、「地理に来るんだろ」といったのを覚えています。
結局「哲学」に進みました。地理が得意というよりも、方向感覚があるのです。
右に45度曲がれば、頭の中のコンパスがそちらを向きます。
バスの中でも、デパートの中でも、飛行機の中でさえ、ずっと、そのコンパスは働いています。

ですから、一旦何かの拍子に、そのコンパスがリセットされたら、大変です。
地図を見たり、太陽を確認したりして、修復するのに、頭の中が、ぐらぐらします。
これは、私の唯一の天分でしょう。
今回の旅行でも、何回か道を尋ねましたが、教えてくれる人も、一生懸命なのですが、
「方向」が分らないままに、目印とか思い込みで教えてくれるものですから、困ります。
教えてくれた人に義理立てして合わさなければなりませんから、そちらで苦労しました。

私が欲しい情報は、「今の位置と、方向」だけなのです。
その点、今回行った、イギリス、アイルランド、アイスランドは現地の地図は正確でした。
看板の観光地図も道の幅が広い道は広く、細い道は細く画いてありました。
スケールと方向がでたらめのイラストマップが、よく日本にはありますが、それは一度くらいしか在りませんでした。
あのイラストマップは、歩いていけるのか、バスに乗なければならないのか、分らないし、
実際にそこに行って初めて分る内容です。

作った人の自己満足と見る人を馬鹿にした地図です。方向音痴を養成する地図です。

小学校、中学校、高校といつも旅行したくてウズウズしていました。
大学になって、やっと、3000円を握って旅に出ました。その頃、カニ族と言っていました。

今のバックパックと違って、左右にポケットのついた幅広のキャンバス製のリュックで、
列車の通路とかをリュックの幅が広いので横向きに歩くので、カニ族と呼ばれました。

シュラフと、昔から宝にしていた厚さ4センチの日本地図を持って。
ユースホステルに泊れるのは一番贅沢で、ほとんどは、大学の寮です、煮しめた様な布団で、当時一泊100円でした。
それも、最初の二三日で、すぐ親しくなって、寮の飯までタダになったものです。

寮に来たバイトに、そこの大学生に成りすまして出て行きました。
大学の無い町は、農協に行けば、住み込みの農作業のバイトを紹介してくれました。
歩いていて、日が暮れて泊るところもないので、道の横の畑に寝ていたら、
朝、牛に顔をベロベロ舐められて目が覚めました。

ヒッチハイクもキセルも無賃乗車もしました。傷心旅行の一人旅のお姉さんに、運賃や宿賃を払ってもらいました。

こちらは傷心旅行ではありませんが、遠くを見つめて、ちょっと文学的な言葉を吐けば、
女を口説くのに時間は要らないことを学びました。
そうしながら日本全国周りましたが、当時、「海外」ということには成りませんでした。
就職したら、海外を周るのが夢でした。しかし、今度は、時間がありません。

盆正月の一番高い時に一週間、新婚旅行と勤続表彰が10日間。やっと昨年、定年を迎えました。
いつの間にか加齢していました。
昔習った肥料の最小率を思い出します。窒素・燐酸・カリの内どれかがどんなに多くても、
結局、一番少ない肥料の分しか育たないというものです。

旅行の三要素は時間・金・健康です。学生時代は金がありませんでした。
働いた三十数年間は時間がありませんでした。そして今、健康が心配な齢になりました。
加えて、あと2つ要素があることに気付きました。「家内の同意」と「身内の不幸が無いこと」です。

家内も旅行は好きですが、「上げ膳据え膳の旅行」でないと附いてきません。でないと、途中で喧嘩です。
熟年成田離婚になります。ですから、長旅は、私一人で行くことにナルのですが、
「勝手に行けば!」と言わせるには、なかなか日々の努力が必要です。

91歳の父、87歳の母、86歳の義父がいます。年が年ですから健康ではありませんが、
今日明日死ぬという状況でもありません。
これが、そういう状況になると、旅行に出ることも出来ません。
そう考えると、ゆっくり、気ままな旅に出られるチャンスは限られています。
もう後がないのです。
昨年は家内と一緒に、バンコクと上海、一人でイギリス・スコットランドに18日間。
昨秋は、一人でのオーストラリア横断を計画していましたが、原因不明の入院で行けませんでした。
今度こそは、絶対行ってやる。今から、健康のために行けなくなったのでは、これから先の人生が面白くない。

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