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定年オヤジの、イギリス・アイルランド・アイスランド一人旅 | |||||
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無断転用厳禁 著作権は satoshi ito に帰属します(岩国市在住) 元職場の先輩の旅行記です。 | |||||
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私の放浪癖 | |||||
私の旅行好きは、今に始まったことではありません。 三歳の時、岩国駅の近くで、母が妹のおしめを換える隙に、岩国駅から汽車で五日市の楽々園まで行き、 そこで保護されました。その少し前、家族で楽々園に行って楽しかったのでしょう。 三才ながら、もう一度行きたかったのです。 名前も住所も言えなかったはずですが、身振り手振りで、汽車で来て、近くで電車に乗り換えたことや、 西から来たことなどから警察は判断して、親を特定したみたいです。 それ以来、私は、馬糞紙で出来た名札を首から掛けさせられるようになりました。 それをいいことに、小学校に上がるまでに、保護されたのが6回、自分で帰ってきたのが十数回。 見つかったり、帰れない場合は、シャツの間から名札を手繰りあげて見せればよいのですから。 小学校に上がってからは、学校があるのと、料金が要るのと、駅員に顔を覚えられたのとで、一人旅は止みました。 しかし、いつも、ごそごそ動き回って、周りの人に「なんと、落ち着きの無い子じゃ」と言われていました。 母に言わせれば、「5分と机に就いていた事は無かった」そうで、 今なら、「何とか症候群」と言う病名を付けられて、病院行きだったでしょう。 とにかく、「勉強」というものはした事がありませんでした。ですから、「暗記物」は最初からしません。 結局「九九」は覚えずじまい。今でも、近くの知っている桁から引いたり足したりするので、時間がかかります。 歴史も、何年という年数は全然知りません。 大化の改新も鎌倉幕府も大体の時期は知っていますが、年数は知りません。 年数が分るのは、自分が生まれた1948年位です。高校になっても数学・物理は苦手でした。 国語は漢字の書取り、英語はスペリングがダメでした。 逆に、地理だけは得意で、旺文社模試というのがあって、全国6番になった事がありました。 なので、0点に近い数学と100点に近い地理の絶妙なバランスで大学に受かったのでしょう。 多分、入試でも地理は高得点だったのでしょう、教養課程なので、まだ何に進むか決まってないのですが、 地理の先生が態々、私を呼び出して、「地理に来るんだろ」といったのを覚えています。 結局「哲学」に進みました。地理が得意というよりも、方向感覚があるのです。 右に45度曲がれば、頭の中のコンパスがそちらを向きます。 バスの中でも、デパートの中でも、飛行機の中でさえ、ずっと、そのコンパスは働いています。 ですから、一旦何かの拍子に、そのコンパスがリセットされたら、大変です。 地図を見たり、太陽を確認したりして、修復するのに、頭の中が、ぐらぐらします。 これは、私の唯一の天分でしょう。 今回の旅行でも、何回か道を尋ねましたが、教えてくれる人も、一生懸命なのですが、 「方向」が分らないままに、目印とか思い込みで教えてくれるものですから、困ります。 教えてくれた人に義理立てして合わさなければなりませんから、そちらで苦労しました。 私が欲しい情報は、「今の位置と、方向」だけなのです。 その点、今回行った、イギリス、アイルランド、アイスランドは現地の地図は正確でした。 看板の観光地図も道の幅が広い道は広く、細い道は細く画いてありました。 スケールと方向がでたらめのイラストマップが、よく日本にはありますが、それは一度くらいしか在りませんでした。 あのイラストマップは、歩いていけるのか、バスに乗なければならないのか、分らないし、 実際にそこに行って初めて分る内容です。 作った人の自己満足と見る人を馬鹿にした地図です。方向音痴を養成する地図です。 小学校、中学校、高校といつも旅行したくてウズウズしていました。 大学になって、やっと、3000円を握って旅に出ました。その頃、カニ族と言っていました。 今のバックパックと違って、左右にポケットのついた幅広のキャンバス製のリュックで、 列車の通路とかをリュックの幅が広いので横向きに歩くので、カニ族と呼ばれました。 シュラフと、昔から宝にしていた厚さ4センチの日本地図を持って。 ユースホステルに泊れるのは一番贅沢で、ほとんどは、大学の寮です、煮しめた様な布団で、当時一泊100円でした。 それも、最初の二三日で、すぐ親しくなって、寮の飯までタダになったものです。 寮に来たバイトに、そこの大学生に成りすまして出て行きました。 大学の無い町は、農協に行けば、住み込みの農作業のバイトを紹介してくれました。 歩いていて、日が暮れて泊るところもないので、道の横の畑に寝ていたら、 朝、牛に顔をベロベロ舐められて目が覚めました。 ヒッチハイクもキセルも無賃乗車もしました。傷心旅行の一人旅のお姉さんに、運賃や宿賃を払ってもらいました。 こちらは傷心旅行ではありませんが、遠くを見つめて、ちょっと文学的な言葉を吐けば、 女を口説くのに時間は要らないことを学びました。 そうしながら日本全国周りましたが、当時、「海外」ということには成りませんでした。 就職したら、海外を周るのが夢でした。しかし、今度は、時間がありません。 盆正月の一番高い時に一週間、新婚旅行と勤続表彰が10日間。やっと昨年、定年を迎えました。 いつの間にか加齢していました。 昔習った肥料の最小率を思い出します。窒素・燐酸・カリの内どれかがどんなに多くても、 結局、一番少ない肥料の分しか育たないというものです。 旅行の三要素は時間・金・健康です。学生時代は金がありませんでした。 働いた三十数年間は時間がありませんでした。そして今、健康が心配な齢になりました。 加えて、あと2つ要素があることに気付きました。「家内の同意」と「身内の不幸が無いこと」です。 家内も旅行は好きですが、「上げ膳据え膳の旅行」でないと附いてきません。でないと、途中で喧嘩です。 熟年成田離婚になります。ですから、長旅は、私一人で行くことにナルのですが、 「勝手に行けば!」と言わせるには、なかなか日々の努力が必要です。 91歳の父、87歳の母、86歳の義父がいます。年が年ですから健康ではありませんが、 今日明日死ぬという状況でもありません。 これが、そういう状況になると、旅行に出ることも出来ません。 そう考えると、ゆっくり、気ままな旅に出られるチャンスは限られています。 もう後がないのです。 昨年は家内と一緒に、バンコクと上海、一人でイギリス・スコットランドに18日間。 昨秋は、一人でのオーストラリア横断を計画していましたが、原因不明の入院で行けませんでした。 今度こそは、絶対行ってやる。今から、健康のために行けなくなったのでは、これから先の人生が面白くない。 【旅行の準備へ】 |
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