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定年おやじのアイスランドひとり旅 29 | ||||||||||||||
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間欠泉は、吹き騰がって、電源を入れたのでは、もう、小さくなっています。残った湯気しか撮れません。 ネットから引用します。輝くオーロラの下の"ヘクラ火山"の噴火 です。 アイスランドの南側にある"ヘクラ火山"は、標高1491mの世界でも有数の活火山です。 過去1000年間に少なくとも20回の大噴火があったと考えられています。 写真は、1991年の噴火のときに撮影された大変珍しい画像で、 オーロラと一緒に写っている"ヘクラ火山"の噴火です。 |
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ゲイシール (ネットより引用します。) 『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 噴出するゲイシール ゲイシール(Geysir,ガイサー)はアイスランドの首都レイキャビクの東北東80kmにある間欠泉。 アイスランドでも指折りの観光地の一つ。 間欠泉の成因に関するマッケンジーの空洞説やブンゼンの垂直導管説を生み、 この名がそのまま間欠泉を意味する英語に転用されるほどになった。 付近には温泉や小間欠泉が多いため、最大の間欠泉は "The GreatGeysir"と呼ばれる。 間欠泉の活動は地震活動・地殻変動などと密接に関連しているため変動があり、 19世紀に最も激しく活動した後、1935年以降ほぼ活動しなくなってしまった。 アイスランド政府は水路の新設や清掃などを行い、間欠泉活動を活発にするよう努力を重ねたが、 1990年ごろには再び活動を止めてしまった。しかし2000年に起こった地震が活動を再開させ、 一日8回ほどではあるが活動を見せるようになった。 現在は平均して一日3回ほど、最大で60mほどの噴出が見られる。 |
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バスはグルフォスに向かいます。氷河からの水が地球の割れ目に滝となって吸い込まれてゆきます。 歩いて近くに行くまでに服は霧で濡れてしまいます。 |
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ここも、柵がないので、時々落ちる人が居るでしょう。落ちたらきっと寒いでしょう。 周りを歩いてみたかったのですが、バスに乗り遅れる訳には行きません。 時間が有りませんでした。どこも、日本ほどバスに乗ったか否か確認しません。 「皆さん、そろいましたかー?」「はーい」「では、しゅっぱーつ」です。 アイルランドでは2度、発車してから、どうも足らないので引き返しました。 去年、ネス湖では、一人残したまま、帰り着きました。なので、私はバスを降りる時、 いつもドライバーに出発時間を再確認します。少し早めにバスに帰りました。 ドライバーにフランスの古いSF 作家ジュールヴェルヌのことを聞いてみました。 「海底二万里」、「80日間世界一周」を書いた作家ですが、アイスランドを舞台に「地底旅行」書いたのです。 ある意味、アイスランドを最初に世界に紹介した人です。 ひょっとしたら、ここでは、有名人で、記念館でもあるかなと思い聞いてみたのですが、彼は知りませんでした。 帰り、遠くの山に氷河が見えます。氷河を歩くツアーや、洞窟見学、パフィンを見るツアーも有りましたが。 装備が無いのと、天気の分らないまま前日予約なので、無難なコースにしたのです。 だけど、パフィンは見てみたかったですね。 下がネットから拝借のパフィンのコピーです。 |
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尤も、代金もすぐ2万3万と高くなります。郊外のバスが無くて、観光客相手なので、高い。 田舎にはほとんど人が居ないのも事実ですが、地元の老人はどうするの? |
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明日天気がいいようなら、どこかに行きましょう。 | ||||||||||||||
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帰り、地熱発電所がありました。アイスランドは、発電には化石燃料も原子力も使ってないそうです。 31万人ですから、沖縄電力の4分の1で済むわけですから、知れています。 その側では、余熱のビニールハウスがありました。ほんと、ここでは畑を見ません。 野菜は殆んど輸入なのでしょうね。寒くて出来ないのか、アラン島のように、農業をするより、 観光の方が楽だからでしょうか。いずれにせよ、作物は夏しか出来ないし、作れるものも限られています。 儲かりません。牧畜はあると思いますが、レイキャヴィックの近くではあまり見ませんでした。 ホテルに着きました、ドライバーに岩国の対訳観光パンフを渡しました。 夕方ですが、ここは、日暮れはありません。夕べ、雨でしたが、0時になっても真っ暗にはなりませんでした。 エンドレスです。街に出ます。鴨が雛を連れて車道を歩いています。 観光客が危ないので、車に避けるよう間に入って誘導しています。 言葉は分りませんが、地元の年寄りが、大声で、放っておいた方がいい、みたいなことを言っています。 |
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港に行きますが、ここには魚船はいません。街中の湖に行ってみます。 | ||||||||||||||
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寒かった昨日とは、様変わりです。暑いくらいです。夕食を探して、街中に戻ります。 道路を横断して洗濯物が干してあります。違う。値札の付いたのもある。 虫干し?側の衣料品店の看板のようです。二階にベランダのあるタイ料理があります。 珍しく、表に値段を書いたメニューが出ています。安いので外階段を上がって暑いので日陰に座ります。 |
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天気がいいので歩いて帰ります。もう夜なのに夕方の感じもしません。 | ||||||||||||||
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朝食を食べた7階に上がってみると、宴会があっています。 私より少し年上の人達で、同窓会か、組合の集まりといった感じです。エレベーターで下りようとすると、 酔っ払いの爺さんが「ヤーパン?」 ヤーと答えると、知らない言葉を喋りながら、 親しそうに肩を叩いて抱きついてきます。抱きついて「オエー」といいます。突き離しました。 部屋のテレビは3局しか入りません。ドラマもあっていますが、多分、独自制作は殆んど無いのでしょう、 英語でもないドイツ語でもないドラマにアイスランド語字幕が入っていました。 元はデンマーク領なのでデンマーク語? まだ外は明るい。時々外を覗きます。雲が増えています。明日は雨かな。 |
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曇りだから、どうせダメですが、冬ならオーロラが見えるのでしょうね。 真夜中も夕暮れ位、車ならスモールランプでしょう。 北緯65度で今日は6月6日、北極圏は66度33分からですから、白夜に近いのです。 暗くなるのにいつまでも付き合ってもいられません。カーテンを閉めて寝ます。 6月7日(日) 25日目 レイキャヴィック |
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